体調のこと

私の脳脊髄液漏出症の発症~治療・完治までの経過

ずいえき

脳脊髄液漏出症が完治して約10年が経ちます。再発予防のために気を付けていることや、後遺症との付き合い、脳脊髄液漏出症学会で得た学びなどをシェアしています。

私の場合は、頭痛が始まった翌日に脳脊髄液漏出症の診断をして頂き、ブラッドパッチのために転院をしています。

計3か月ほど入院し、安静とブラッドパッチの2回を経て完治に至っています。

・発症してすぐに的確な診断をしてもらえたこと

・スムーズに転院ができたこと

・転院先の病院で適切な治療を受けられたこと

・完治に至れたこと

これらのことがどんなに幸運なことだったのか、年月が経つごとに実感しています。

本当に恵まれていたと思います。

 

 

脳脊髄液漏出症の発症から診断までの経過

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私が脳脊髄液漏出症を発症したのは、2014年でした。

本当にある日突然の出来事でした。

いつものように目覚ましが鳴り、起き上がった瞬間、ビリビリビリー!と突然脳に電気が走ったかのような頭痛が始まりました。

何度起き上がろうとしても、頭を全力で殴られたような激痛で起き上がることができません。

もしかしたら次は痛くないかも、、、と期待をしては布団に倒れ込み、起き上がり人形のように繰り返していました。

横になると、ウソのように頭痛が全くなくなり、何が起きているのか分かりませんでした。

手持ちの痛み止めを飲んでも全く効かず、吐き気も出てきてしまい、身の危険を感じはじめました。近所の頭痛外来のあるクリニックを受診し、突然発症の「片頭痛の可能性もある」との診断でした。もともと片頭痛はありませんでしたが、ひとまず処方された片頭痛の薬を飲んで様子を見ました。

一晩治らなければ総合病院受診することになり一旦帰宅したのですが、全く薬も効かず治らなかったので翌日総合病院を受診し、そのまま入院となりました。

CTの結果、頸椎からの漏れが確認され

原因不明の低髄液圧症候群

と診断されました。

総合病院で10年近く看護師をしていましたが、腰椎穿刺をしていないのに髄液が漏れる病態があることを知ったのは、この時が初めてでした。

当時は腰椎穿刺以外での髄液漏れについて、脳神経外科の看護師でも知らなかったという人がほとんどでした。本当に限られた専門病院でしか診断、治療はされていなかったことを物語っています。

医療従事者の参考書にも、髄液漏れに関しては腰椎穿刺後の合併症以外には当時は載っていませんでした。

今ではおまけ1ページ程度には「脳脊髄液漏出症」として載せてくれるようになってきましたので、少しずつ医療者の中でも広まってくれているかもしれません。

ずいえき

 

脳脊髄液漏出症の1つ目の病院での点滴・安静治療の経過

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入院した後は、点滴と安静が始まりました。点滴は大体1日2000㎖程、4日続けました。

医師もガイドラインに則って治療をすすめてくれましたが、手探り状態でした。

水分は経口摂取をメインに点滴で補助をするような形でした。私もネットで当時の低髄液圧症候群のガイドラインを見ていたので、おなじみのOSー1を箱買いして1日に1500㎖くらいは飲んでいたと思います。

本当に不思議ですが、髄液が漏れている間はずーっとOSー1がおいしいんですよね。

それだけ脱水状態だったんですね。

脱水がひどいので血管もしぼんでしまって、なかなか点滴を入れる血管も取れない状態でした。

とても経口補水では追い付かなくて、点滴が入るとすごく身体が楽になった感覚を覚えています。

入院して1週間経ったくらいから、耳の不調が生じ始めていました。目覚めたら突然、音が二重に響くように聞こえるようになっていて、とても戸惑いました。

耳の異変は、丁度点滴をやめたところから始まっていました。私の場合は、看護師であったこともあり医師が早めの社会復帰を見越してくれたようで、点滴もガイドラインよりも早めに切り上げてみたようでした。そして寝たきりにならないようにとリハビリも入れられてしまったのでした。

後にこのことが悲しい事態を生むことになるのですが、今はいい経験になったと思えています。

また別で書いていきたいと思います。

耳に関してはその時には低音性難聴と診断され、このまま治らないこともあるとも告げられ、プレドニンが処方となりました。

結局1つ目の病院では、1ヶ月ほど入院しましたが起立性頭痛は全くよくならず、症状は悪化していきました。

この頃には、

・座っているのは2分が限界

・ひどい頸部痛

・平衡感覚がなくなって歩くことも難しくなった

・常に音が二重に聞こえて響く

・色んな耳鳴りがする

・やたらまぶしく感じる

・思考能力低下

という症状が次々に出てきていて、保存的治療(点滴や安静)では難しいと判断され、主治医が転院を調整してくれました。

 

脳脊髄液漏出症の2つ目の病院での治療と完治までの経過

私は地方に住んでいるのですが、大きな病院が同じ市内にたくさんある恵まれた地域でした。

入院していた病院の系列病院も同市内にあり、当時はブラッドパッチを行っていると記載がありました。主治医からも万が一ブラッドパッチが必要ならばそこに転院しましょうと言ってもらっていました。

しかし、いざ転院調整をすると数年前からブラッドパッチは行っていないという回答でした。

そこから病院探しが始まり、半年待てば同じ県で脳脊髄液漏出症で有名な医師がいる病院の受診予約がとれるかもしれないとのことでした。

こんな状態で生活なんてできるわけがないのに、、と絶望的な気持ちでしたが、運よく同じ市内にひっそりとブラッドパッチをしてくれていて、すぐに受け入れてくれるという病院を見つけて下さり、退院した足でそのまま転院先の病院を受診となりました。

2つ目の病院の主治医は脳神経外科のスペシャリストの先生でした。

診察をして頂き、

「脳脊髄液漏出症

と改めて診断となりました。

低髄液圧症候群・脳脊髄液減少症・脳脊髄液漏出症の呼び名の違いに関しては、また別で書いていきます

主治医から良くなっていく患者さんが多いこと、今までよく頑張ったねと声をかけてもらった時、これまでの不安や色んな感情が一気にあふれてしまい、この病気になって初めて大泣きをしてしまいました。

「1ヶ月くらい点滴でしっかり水分を入れてあげて、それでもだめならブラッドパッチにするね」と説明を受け、心の中でうずいていた1つ目の病院への不信感が爆発した瞬間でした。

そのまま入院となり、1ヶ月の点滴と安静治療をしました。

入院後改めて検査をすると、すでに慢性硬膜下血腫も生じている状態であること、耳に関しては脳脊髄液漏出症の脱水による特徴的な耳管開放症と診断されました。

1ヶ月が経つ頃には、脱水の改善に伴って耳の症状は徐々によくなっていきましたが、完全に消失することはありませんでした。起立性頭痛を始め他の症状も改善が見られなかったため、1回目のブラッドパッチを行い、1週間ほど様子を見ることになりました。

症状は少し改善が見られましたが、画像上もまだ漏れが認められました。起きていられる時間は延びましたが、起立性頭痛も残っていて日常生活を送るには困難な状態だったので、2回目のブラッドパッチを行いました。

2回目のブラッドパッチ後、画像上も漏れはなくなり、起立性頭痛もほぼ消失したことを確認し一応「完治」に至り、退院となりました。

 

以上がおおまかな経過です。

ただ、完治と言っても長い期間の安静に伴う諸症状や、自律神経系の症状など、多くの症状との闘いがこの先待っているのでした。